健康診断は大事
ここ4月以降の話をしていこうと思う。
4月の初めに前に勤めていた大企業のホームページを覗いて、知ってる人が出世してるか確認して結構知ってる人が移動ないし出世しているのを小一時間眺めていた。
その翌日、前の上司がうちに来てまた一緒に働かない?と言われ、いつのまにかハグされておいでおいでって話に。
私も、転勤することが出来るし、将来の目処も立つと思い、ご縁だろうと観念して、働くことに決めた。遠くて遅くなると暗くて怖いからやめたにも関わらず。
見切り発車でスーツを購入。給料が入る前にカードの引き落としがあった。
仕事のお勉強を始めて数日後、入社前健康診断に行くと、相変わらず尿検査で引っかかった。もう数年に及ぶ異常である。3年前には泌尿器科の先生もよくわからないまま首を傾げて「何だろうね」と言っていた。
さらに婦人科にも行って調べた。
その会社の検診を担当した医師から「腎臓内科を受診することをお勧めします」と言われてその通り最寄りのちょっと大きい病院に行った。
もう「何だろうね」に決着をつけることにした。
その病院は基本的に紹介状か予約のみで飛び込みは診察が難しい。ホームページでは予約が要らない旨書いてあったのを鵜呑みにして、飛び込みで受診した。
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大混雑な外来だと言うのに数年に及ぶ異常な検査結果を見た先生が、「うちで診ましょう」と言うことで、無事に外来でお世話になることになった。診察前の血圧が上160を叩き出した。その後落ち着いても140台に。血液検査は6本ぐらい、尿検査にCTを撮り、外来の診察。緩やかに腎機能が低下し続けていて「今すぐ入院するほどではないけど、これは何かある」という事で、慢性糸球体腎炎の疑いという診断しきれない状態の診断書をもらい、血圧を下げる薬の処方と血液検査6本のうち当日結果が出ない癌などの検査結果が出る次の予約をして帰る。
朝9時前に到着した病院で全て終わって出てきたのが13時半。それから昼食も取らず会社へ行って将来透析になる疑いのある診断書を持って行った。
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血圧を下げる薬を飲んで、ちょっと驚いたことがある。
ここ10年余りの不調が改善される兆しが出てきた事だ。
目が見えるようになった。
明暗差には今だにやられるけど、薄暗い所が薄暗いように見えるようになった。視野も広くなった気がする。
私の人生において、とても重要な転機を見逃していたのだろう。2014年に【網膜色素変性症の疑い】と言われ、「大学病院で調べても治りませんよ!」という眼科医の言葉に落胆して次の一手を打つのに消極的になっていた。
少なくともその時に大学病院にでも行っておけば、母の入院時に高血圧になったけれども、ストレスのせいだと自己判断して一過性のものだろうからと治療をしなかった。
その時治療していれば車を手放すこともなかっただろうと今となっては悔やまれる。
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次の予約日に診察へ行くと、初診時のCTを見て腎臓が少し萎縮しているからと薄暗いエコー室に連れて行かれて腎臓を確認して、今のうちに刺しましょうか、と腎臓に針を刺して組織を取って調べる腎生検をすることになった。
いや〜参ったな、入院って爺さんに言ってひっくり返ったら困る。ちょっと考えて1日後父に「検査入院」と話す。
高脂血症で通ってるクリニックで、一連の入社前健康診断からの話をして、腎生検するんです、ちょっと緊張しています。と言ったら、「ちゃんと原因がわかった方が良いからね」と励ましてくれたのかな、という言葉をもらった。
高脂血症の薬をやめているので、経過を見るために採血。2日後に再来院すると、コントロールが出来てるね、薬を飲まなくて大丈夫と太鼓判をもらった。だってトーストのマーガリンやめてるんですよ、揚げ物もほとんど食べない。良くなって欲しいよ。
入院前PCR検査がスクーリングと被るので欠席の手続きをして、入院の準備。
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そして入院。コロコロを引いて朝9時半に病院に到着。初日の昼から尿道に管入れて血圧測定と血を抜かれて安静にする。
処置室でエコーを見ながら大御所先生が4、5人のドクターに実演するようにうつ伏せの私の腰に針を刺す。
麻酔が効いて痛くはなかったけれど、その後が地獄だった。刺したところに砂のうを乗せて抑えた後、仰向けになって自重で翌日の朝まで過ごさなければならない。
ご飯はベッドを30度までしか起こせず腹筋でおかずを手にして何とか食べる。
寝返り膝曲げ禁止。夜中1時間ごとに目が覚める。目が覚めるたびに眠れない。とても苦痛だった。それに耐えてただ順調に回復したい一心だった。
お陰で予定通りに退院できた。入院費はカード払い。限度額申請したから良いとはいえど、お金が心配。
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退院して荷物を片付けて、すぐに生命保険の入院給付を請求するために電話する。
火曜日入院、金曜日に退院。土日はZoomスクーリング、月曜日から出社。勉強が大変で青息吐息でやつれており、病人なんだかよくわからないスケジュール。
火曜日はダイニングの照明が壊れたと言って、爺さんが新しい照明器具を買ってきてはめようとしたら出来なくて、返品しに行ってた。
だいたい照明を外す時にひねれば取れる仕様になっているじゃないですか。古い方の照明はどこをどうやってこうなったの、という感じでばらけていた。爺さんはパニックになるとそのストレスに耐えられないからいてもたってもいられず、プラマイゼロから更にマイナスに持っていって結果は失敗することが多い。
ダイニングの照明がないのでご飯作るのも諦めて割引の弁当を買ってリビングの方で食べる。
慌てて買ってきて正解だった試しがないだろ?とにかく落ち着いて、判断できない時は電話して、といい、リビングの照明をダイニングに付け替えてしのぐ、後でゆっくり買いに行こう、と現時点で最善の策を指示して出社した。
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退院した翌週月曜日に先生から連絡があったようで(出社したから知らなかった)、水曜日に病院に連絡したら先生が言ってた。
「診断がつきました。今後の治療のことをお話ししますから、明日来てください」と。
マジかよ〜病気かよ〜
出社は午後からと連絡して、当日。
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「病名は、IgA腎症です」
「うちには耳鼻咽喉科がないので大学病院で扁桃腺を摘出して、うちに帰ってきてもらって3週間入院してステロイドの点滴という治療をします。長いな、という場合は3日というパターンもあるけど、僕たちは、悪さをするところを徹底的に叩いて、将来20年後透析をする確率を下げる方が良いと思っています。ご家庭の事情もあるからそこは決めていただいて、」
前日はその病気と察して予習していたからそんなに慌てなかったけれど、3週間の入院に生活力のない2人が耐えられるかそっちが心配だった。
86歳の元気な年寄りでたまにパニックになって判断が全て裏目、無駄につぐ無駄で失敗する。それと、24歳の半引きこもり元天才少年。
私は一人っ子。限界家族は何かあったら急に困る。
診断がついたので、病名入りの診断書を持って出社して、支社長に挨拶して帰る。
来月から入社はなくなった。
上司とは電話で話した。心なしか声のトーンが上がってるように聞こえたようだった。
まだ爺さんには言ってないから、明日も会社だと思っている。
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翌日は休みになったからといい、ニトリに照明を買いに行き、リビングの照明を戻し、ダイニングに新品を取り付ける。
そして難病の医療費補助の申請手続きの説明でまた病院に行く。色々書類が必要のようだ。
これからのスケジュール考えると頭痛いけど、20年後に透析することになる確率を下げるためには、先生が言う「僕たちが考えるに最善と思う」治療をしていかないときっと後悔する。
後少しになったけど、健康保険を任意継続にしていて良かった。退職者にも付加給付がある。綱渡り家計簿で支払いは正直大変だったけれども、国保に変えなくてよかった。
仕事は治療が済んでから考える。その頃には健康診断の数値も正常になっているはず。正常じゃなくても働ける状態にはなっているよね、なっていたら良いな。